子の権現ツーリング

friday662005-11-20


3年振りに、子の権現に行って来ました。子の権現については、文末に説明が書いてありますので、お読みくださいませ。

今回は、陽気なカナディアン BPさんと一緒。BPさんは、先月に大阪から東京に引っ越されて来ました。こちらに自転車乗りの友人がほとんどいない為、先日行われた自転車展に大阪からきた友人にBPさんを紹介されて、今回、サイクルツーリングに一緒に行ってまいりました。

待ち合わせは、国分寺に朝の8時。時間になっても現れないので、携帯に電話したところ西国分寺と勘違いしており、西国分寺で待っていてもらうよう言って、約5分後に無事合流。まあ、府中に来て、一ヶ月じゃ、しゃあないね。

今回のコースは、下記のコース
国分寺箱根ヶ崎笹仁田峠、山王峠、天目指峠、子の権現、(時間があれば竹寺だが、やっぱなかった)飯能、所沢、国分寺

西国分寺から府中街道を北上して玉川上水まで、行こうとしたが、交通量が多いので、さっさと左折して、国分寺市内の住宅街を抜けて行く。裏道をつないで、玉川上水の小川橋まで行ったら、ここで、再度、北上する。新青梅街道一本手前の道を左折して、ほぼ、新青梅街道沿いを走る。やはり、一本外れているので、交通量は少ない。途中、日産村山工場跡地から富士山が見えたので、BPさんがしばし、見入っていた。この時期の富士山は、頭の白い帽子をかぶり綺麗である。

このまま西に行くと、横田基地にぶつかるので、この辺から北上して、新青梅街道を越えて青梅街道にあたったら左折して、箱根ヶ崎方面に向う。旧16号を超え、八高線を渡ろうとするが、本数の少ない踏み切りに、珍しくひっかかる。ここから、岩蔵街道に入り、日立の近くのセブンイレブンで、一回目の休憩を入れる。BPさんが、ラーメン食べてもいいかというので、OKと答える。時間がかかるので確認したようである。この辺が律儀である。

ここからは、岩蔵街道を外れて、牧場、青梅スタジアムの横を通り、茶畑の中を抜けて、笹仁田峠の手前まで岩蔵街道を通らないで走る。途中、家の軒下のFOR SALEの看板をぶら下げたFELTの青いロードがあった。(笑)生憎、値段が良く見えなかったが、結構あたらしそうでした。笹仁田をなんなくパスして、次は、山王峠に向かう。この峠もなんなくクリアして、青梅秩父線につきあたると、左折して名栗川沿いを遡上する。結構、交通量が多い。車に注意して走る。

次の休憩ポイントは、名栗湖(有間ダム)の登り口手前にある東屋である。ここは、トイレもベンチもあるので、休憩には最適なのだ。ここで、しばらく、休憩して、いよいよ、峠道に入っていく。最初の峠は、天目指峠である。森河原から、右折して、南川名栗線に入り峠に向かう。峠に入った途端に、BPさんが止まったので、どうしたのかと聞くと、リアディレイラーのプーリーから異音がするようなので、注油していたようだ。二人で登り始めたが、あっという間に、先に行かれてしまった。うーん、平地は速いと聞いていたが峠もそんなに速いなんて聞いていなかったぞ。(笑)まあ、しゃあないんで、後を追う。結構、追いかけるつもりで、ハイペースで登る。とりあえず、フロントはトップのままで、登る。そんなこんなで、BPさんは、峠の頂上で涼しい顔して待ってました。3分ぐらい遅れだそうで。まあ、こんなもんでしょ。峠で、ちょっと記念撮影などをして、子の権現の入り口まで、下ります。せっかく、登ったんですけどね。(笑)

子の権現入り口から子の権現までは、約3kmの看板が出ておりました。ここで、おにぎりを食べて補給します。さっきの登りをハイペースで登ったのと、多分、おにぎり休憩で、足が冷えたのかもしれないが、右足の脹脛がヒクヒクしてきたので、ここは、フロントを落としてインナーで、ゆっくり登ります。途中、給水ポイントがあったので、ボトルに水を補給します。子の権現まで1kmの辺りから、勾配がきつくなります。ここで、BPさんが、またまた発射。こっちは、もうしょうがないんで、マイペースで登ります。こんな峠を自転車で登ってくる奴なんて、そうもいないんで、登山客の方から、がんばれーの声援を頂いて、やっと山頂の子の権現に到着する。汗、びっちょり。でも、この時期だから、すがすがしいですね。到着時間は、12時半。予定では、12時ぐらいだったが、まあ、もう一つ寄る予定の竹寺をキャンセルすれば良いだけの事。境内の手前に自転車をおいて、まずは、社務所に行って、古いお守りを奉納して、新しいお守りを購入する。子の権現は、足腰守護の神仏なのである。自転車乗りには持ってこいなのである。次に御参りをすませる。でかい草鞋の前で記念撮影や、土産物屋をひやかしたりして、子の権現を後にする。

ここから、飯能の街まで、ダウンヒルが続きます。青梅秩父線にぶつかるまでは、里山ののどかな雰囲気がずうーっと続いて、心を和ませてくれます。BPさんが腹へってきて、おでんの厚揚げが食べたいと言ってきたので、飯能の駅の方まで行けば、コンビニエンスストアがあるからと言って、最初に見つかったセブンイレブンで休憩を取ります。なかなか日本的なカナディアンである。(笑)もう既に、飯能の市街地に入っており、時間は14時頃になっていました。二人で、ちょぅと遅めの昼食のおでんを食べて、小腹を満たすと、一路、ゴール地点である国分寺を目指します。

飯能を抜けて、入間川を渡り、駿河台大学横のダラダラ坂を越えて、御茶畑の中に突入する。この辺の雰囲気もよい。圏央道の上を通り、狭山ゴルフクラブ、大妻女子大の横を通り、16号を越えて、所沢青梅線に入る。
所沢までくれば、隣町の東村山出身の私には、この辺は裏庭も同然である。交通量の少ない、裏道を通って久米川まで行き、小平霊園を抜けて小平からは、あかしや通りを南下して、国分寺に15時半に無事に到着。暗くなる前に帰る事が出来て良かった。また、走りに行こうと、BPさんと約束し、BPさんの見送りを背中に受けて帰途に向かいました。(本日の走行距離 125km)

子の権現について

創建911天台宗別格本山 子の権現 天龍寺は、延期 11年(911年)6月13日、初めてこの地に子ノ聖( ねのひじり )が十一面観音像をお祀りし、天龍寺を創建されたことに始まります。その後、長和元年( 1012 )に 恵聖上人( えんしょうしょうにん )が子ノ聖を大権現と崇め、子ノ聖大権現社を健立されました。子ノ聖は生来才智するどく仏教に通じ、生まれたときが子年子月子日子刻であったため、人々に子ノ聖と呼ばれておりました。
子ノ聖は、当地を終焉の地として参られ、その祭「我、化縁につきぬれば寂光の本土に帰るべし。然れども、この山に跡を垂れて永く衆正を守らん。我登山のおり、魔火のため腰と足を傷め悩めることあり。故に腰より下を病める者、一心に祈らば、その験を得せしめん。」と誓いをたてられました。以来、足腰守護の神仏として信仰されてます。標高600m程度の山の上にお寺は、あります。