さよなら、堀さん

今日は、だらだらと書いてます。自分の為に書きとめておこうと思っているのですいません。

今から20年前、おいらが20代後半、最初の転職で日本のメーカーのサービス系の会社から外資系のコンピューター会社のPrimeでサービスエンジニアとして新宿はセンタービルの42Fにあるオフィスで働いておりました。当然、サービスエンジニアなので客先を飛び回ってました。担当は、東日本の50Hzエリアで、おいらの顧客は北は秋田、南は三島まででした。コンピューターのOSはPriomos。Primosのコマンドなんて、もう、ほとんど覚えてない(笑)。まあ、少しやれば思い出すと思うけどね。いわゆるミニコンというやつで、SUNのスパークステーションが登場したあたりから自然淘汰されてしまった。いまなら化石みたいなもんだね。
ハードディスクなんて、あなたベルトドライブで容量はわずか、300MBですよ(笑)。ベルトドライブなんで、50Hzと60Hzで当然違うので間違って取り付けようものならDISKがレディになりません。構成は、Read/Writeボード、サーボボード、コントロールボード、にDISKアッセイと別れていて、不具合が発生するとボード単位で交換してましたよ。DISKアッセイなんかもバカでかくて、やっと一人で交換出来るくらい。社内で交換する時は二人でやってましたが、出張で遠いところなんかは一人です。秋田の土崎の某顧客の時は、一人で行って、結構大変な思いで交換したのを思い出すなぁ。そういや、飛行機に乗ったのも、この秋田行きが初めてでした。
先々月、亡くなった堀さんは、その時のおいらの上司でした。頼りになる親分でした。当時持たされていたのは携帯なんて普及してませんでしたから、カタカナのメッセージ表示がでるポケベルです。東京テレメッセージのやつでしたね。現場でトラブってはまって夕方になると、堀さんから「ドウデスカ」のメッセージのポケベルがなる。同僚の間では、ドウデスカポケベルという言葉が出来たくらいである。
堀さんには、府中の某顧客でトラブっている時にヘルプで来てもらって、あっという間に解決してもらい、おいらにはスーパーマンに見えたよ(笑)。それから、二人でいわきの某顧客へ行ったことがある。本来は同僚のしめちゃんが行く予定だったんだけど、ちょっと遅刻したから、先に来ていたおいらに「なるちゃん行くよー」と会社を二人で後にしたこともある。結構気が短いところもあったようだ。
そんな堀さんに最後に会ったのは、10年前。当時、堀さんはISSという会社におられて、当時失業中だったおいらを二日間ばかり、コンピューターの解体の仕事があったので、そのバイトで使ってもらった事がある。
先々月、元の同僚から堀さんが亡くなったとの訃報のメールが届いた。葬儀はご家族の意向で密葬となり葬儀に参列することは出来なかった。
当時のオフィスでカストマーサービスの席があり、こちらは対エンドユーザーの部署であり、カストマーサービスの反対側にコンピューターの不具合の件を本社への問い合わせや、おれらにニュープロダクトのトレーニングをしてくれる部署のテクニカルサポートがあった。ここの課長さんだった加地さんとPrimeを離れてからも親交があり、仕事の付き合いはそんなになかったんだけど、テニスをしたり、加地さんの家に餅つきに行ったり、おいらが成田に住んでいた時に泊まりに来てくれたりで、加地さんもいまだにおいらのことを「なるちゃん」と呼んでくれてます。
加地さんから、今度の土曜日に、お墓参りと新宿で夕方から堀さんを偲ぶ会をしますというメールが届いた。仕事があるので、偲ぶ会だけ参加しますと。こういう会に途中から参加するのも、何なので、仕事を早く切り上げて最初から参加することにした。
そのメールにお墓の場所が書いてあり、確認すると、幸いというか、偶然にも通勤ルートをほんの少しだけ外れたお寺のお墓だったので、金曜日の夕方に、事務所をダッシュして、日没前にお参りに行くことが出来た。なんだよ、堀さん、こんなに小さくなっちゃってさぁ。残念だよ。


偲ぶ会は厳かに始まり、堀さんの元同僚が集まられてました。なぜか堀さんの部下はおいらだけ。おいおい、なんで来ないんだよ。連絡しなかったのかな?
出席者は、カストマーサービスのボスの和田さん、土橋さん、長谷部さん、ソフトウェアの小林さん、加藤さん、ISISサポートの楠橋さん、加地さん、おいらが2グループだったんだけど、1グループの課長だった岡本さん、そしてオオモリさん。オオモリさんは、おいらの入社前には、もうPrimeにはいなかったのでお初の方でした。和田さん、土橋さん、岡本さんは、本当に変わっていなかった。20年前と変わらない。和田さん、土橋さんは、髪が白くなったけど、岡本さんはおいらよりも髪の毛は黒くて、全然変わらない。シーパン履いてたし、若いなーと思った。亡くなった堀さんと岡本さんは同じ歳だそうで、今年60歳になるようです。
土橋さんの提案で、各自が堀さんとの思いで話をしていきます。堀さんをPrimeに引っ張ってきたのは、和田さんで、その事を淡々と話をしていたのが印象的でした。おいらも、某府中の顧客で助けてもらった事を話したけど、その頃になると、大先輩達はアルコールも入ってきて、おいらの話なんか聞いちゃいない。まあ、それでもいいんだよね。こうやって集まって、堀さんの話をして思い出すことが供養になると思うから。
そんなこんなで3時間の偲ぶ会は終了。三三五五解散となった。

さよなら、堀さん。また、お墓参りに行くよ。